論語
論語 (孔子)
- 子曰、学而時習之、不亦説乎、
有朋自遠方来、不亦楽乎、
人不知而不慍、不亦君子乎
子曰く、学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや、
朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや、
人知らずして慍(うら)みず、また君子ならずや
学問をすること、そして実践を通して学問を身につけていくこと、これは無上の喜びだ。
次第に同志ができ、見ず知らずのその同志たちが集まってくる。こんな楽しいことはない。
人に認められようが認められまいが、そんな事は気にかけずに勉強を続ける。これが本当の君子である。 - 子曰、後生可畏、焉知来者之不如今也
子曰く、後生(こうせい)畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者(らいしゃ)の今にしかざるを知らんや
年が若いとは、将来に希望があることだ。今後の世代が、現在の世代を乗り越えていかないとはいえないのだ。 - 子曰、道聴而塗説、徳之棄也
子曰く、道に聴きて塗(みち)に説くは、徳これ棄つるなり
聞きかじったことを右から左へ受け売りして得意がる。これでは徳は身につかない。 - 子曰、温故知新、可以為師矣
子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、もって師たるべし
歴史を深く探求することを通じて、現代への認識を深めていく態度、これこそ指導者たるの資格である。 - 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆
子曰く、学びて思わざれば罔(くら)し、思いて学ばざれば殆(あやう)し
読書にのみふけって思索を怠ると、知識が身につかない。思策にのみふけって読書を怠ると、独善的になる。 - 子曰、道不同、不相為謀
子曰く、道(みち)同じからざれば、あいために謀(はか)らず
異なる道を選んだ人間に、自分の道を理解させることは難しい。 - 子曰、吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩
子曰く、われ十有五(じゅうゆうご)にして学に志(こころざ)す、三十にして立つ、
四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、
七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず
わたしは十五歳のときに、学問によって身を立てようと決心した。三十歳になって自分の立場ができた。
四十歳で自分の方向に確信を持った。五十歳で天から与えられた使命を自覚した。
六十歳で誰の意見にも耳を傾けられるようになった。
七十歳になって、自分を押さえる努力をしないでも調和が保てるようになった。 - 子曰、君子不以言挙人、不以人廃言
子曰く、君子は言をもって人を挙(あ)げず、人をもって言を廃せず
君子は言論だけを買ってその人物を登用することはない。
しかし、妥当な意見でさえあれば、どんなに低い地位にある人物の発言にも耳を傾ける。 - 子曰、人之過也、各於其党、観過斯知仁矣
子曰く、人の過(あやま)つや、おのおのその党においてす、過ちを観(み)ればここに仁を知る
誰にしろ、いかにもその人らしい失敗をやる。失敗を観察していれば、その人の人間性がわかる。 - 子張問仁於孔子、孔子曰、能行五者汚天下為仁矣、
請問之、曰、恭寛信敏恵、恭則不侮、寛則得衆、
信則人任焉、敏則有功、恵則足以使人
子張、仁を孔子に問う、孔子曰く、「よく五つのものを天下に行なうを仁と為す」、
これを請(こ)い問う、曰く、「恭、寛、信、敏、恵なり、
恭ならば侮(あなど)られず、寛ならば衆を得(う)、信ならば人(ひと)任(にん)じ、
敏ならば功あり、恵ならばもって人を使うに足る
子張が、どのような行為が仁なのでしょうか、と孔子にたずねた。
「五つの徳を政治に生かすことができれば、まず仁といってもいい」
「その五つの徳と申しますと」
「慎重、寛大、誠実、勤勉、慈愛の五つだよ。
慎重であれば人から軽視されることはない。寛大なものには人望が集まる。
誠実なものはきっと信頼される。勤勉ならば実績は当然あがる。
慈愛をもって接すれば人は喜んでついてくる」 - 子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人
子貢(しこう)問いて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
子曰く、「それ恕(じょ)か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」
「この一言なら生涯守るべき信条となる-そういう言葉はあるでしょうか」
子貢にこう尋ねられて、孔子は言った。
「まず恕だろう。人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ」 - 曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、
仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎
曾子(そうし)曰く、士はもって弘毅ならざるべからず、任重くして道(みち)遠し、
仁もっておのれが任となす、また重からずや、死して後(のち)やむ、また遠からずや
曾子が言った。「士は見識が大、意志が強固でなければならない。なぜなら、その使命は重く、道は遠いからである。
仁の実現、これは重い使命ではないか。死ぬまで歩き続ける。これは遠い道ではないか。」 - 曾子曰、吾日三省吾身、為人謀而不忠乎、
与朋友交而不信乎、伝不習乎
曾子曰く、われ日にわが身を三省す、
人のために謀(はか)りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか
曾子が言った。「わたしは日に何回でもこう反省する。
いったい自分は、人に頼られながら、つい人のことだといいかげんにすませたりはしなかったか。
友人に対して誠実でない態度を取ることはなかったろうか。
自分に確信がないことを、まことしやかに人に吹聴したりしなかったろうか。」 - 子游曰、事君数、斯辱矣、朋友数、斯疏矣
子游(しゆう)曰く、君(きみ)に事(つか)えてしばしばすれば、ここに辱(はずかし)められる、
朋友にしばしばすれば、ここに疏(うと)んぜらる
子游が言った。「せっかくの進言も、あまりくどいと主君から馬鹿にされる。友情からする忠告も、あまりくどいと煙たがられる。」 - 割鶏焉用牛刀
鶏(にわとり)を割(さ)くにいずくんぞ牛刀を用いん
鶏を料理するのに牛刀を持ち出したようなものだ。 - 有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安
国を有(たも)ち家を有つ者は、寡(すくな)きを患(うれ)えずして均(ひと)しからざるを患え、
貧しきを患えずして安からざるを患う
為政者や家長は、収入が少ないことを心配するのではなく、不平等がある事を心配せよ。
また、貧しいことを心配するのではなく、安心して暮らせないことを心配せよ。 - 子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之
子曰く、三人(さんにん)行なえば、必ずわが師あり、
その善なる者を択(えら)びてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改(あらた)む
かりに何人かで共同作業をするとすれば、わたしにとって、彼らはみな先生となる。
優れた人からは学ぶべき事を得られるし、劣る人からは反省の材料を得ることができる。 - 子路問事君、子曰、勿欺也、而犯之
子路(しろ)、君(きみ)に事(つか)えんことを問う、
子曰く、欺(あざむ)くことなかれ、而(しか)してこれを犯(おか)せ
子路が、主君にどのように仕えるべきか、と尋ねた。
孔子は言った。「言うべき事はあくまでも言わなければならない。
その為には主君と衝突することも辞すべきでない。」 - 子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也
子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは、諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり
祭る理由のない神々を祭るのは、主体性の放棄である。勇気を持って人として行うべき事を行うべきなのだ - 子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也、
必也臨事而懼、好謀而成者也
子曰く、暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死して悔いなき者は、われともにせず、
必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀(はか)りごとを好んで成す者なり
素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡るたぐいの命知らずとは一緒にいたくない。
むしろ臆病なほど注意深く、成功率の高い周到綿密な計画を立てる人間のほうが頼りになる